大女優の故・樹木希林さんと内田裕也さんの娘でエッセイストの内田也哉子と結婚した旦那の本木雅弘との出会い・馴れ初めや、プロポーズの様子、年の差婚だけどうまくいってる、歌手活動、画像をまとめました。
目次
樹木希林の娘・内田也哉子と夫・本木雅弘の出会い馴れ初め、画像
左・内田也哉子 右・本木雅弘
内田也哉子が15歳の時に、母・樹木希林さんから「お父さんと食事してきなさい。」と言われ、到着するとそこには父・内田裕也さんと本木雅弘(当時25歳)も同席していました。映画『魚からダイオキシン!!』で共演したことが縁で一緒に食事をされていたようです。この時は特別な感情はお互いにありませんでした。
翌年、本木雅弘がアカデミー賞授賞式のナレーターの仕事でアメリカに行った時に当時留学中の内田也哉子が通訳として同行することになりました。
本木雅弘は内田也哉子の第一印象について
「ルックスは若いのに、しぐさとかたたずまいが大人みたいでアンバランスな感じ」
「その当時から何ともいえない、こんな15歳みたことないっていうような落ち着き払った態度でいて、ひそかにその存在感に惹かれてたところがあった」
と語りました。
また、関係者は
『モックンは昔「ベタベタする女の子は苦手、きゃあきゃあ騒ぐ子もダメ」とよく言ってました。その点だと今の奥さんは理想の女性だったんでしょうね。』
と回想していました。
“年の差は10で、まだ内田也哉子は16歳だったのだが、本木雅弘からアプローチがあったようだね。
内田也哉子は海外へ留学中だったために、しばらくは手紙でやりとりをして愛を深めていったそう。”
手紙以外にはファックスでも連絡をとっていました。時代を感じます。
本木雅弘がテレビ番組『人生最高レストラン』に出演したときに
「(やり取りは)別に他愛のないことですよ。それで、時々、日本に帰国をしてくるんですけど、その時に2人だけで食事をする機会があって。ふと私の頭の中に、この人、大人になったらどうなるなだろうって興味津々で。彼女のほうがさっさと歩いてるんですけど、後ろ姿を見ながら、白髪になったらいいだろうなみたいな…。それでついつい『もし将来、結婚するって時があったら、その中の選択肢に入れといてもらえる?』みたいな…微妙な言い方なんですけど…そういう感じがあって」
と明かしています。この時に本木雅弘は赤面して手で顔を煽いでいました。
手紙の他にはファックスも使っていました。メールなどと違って一段と心のこもったやりとりになったことでしょうね。
内田也哉子は内田裕也さんが唯一、子孝行をしてくれたとしたらそれは旦那さんを紹介してもらったことだと語っていました。
本木雅弘が内田也哉子にプロポーズ、年の差婚
スイスに留学していた内田也哉子が時々、日本に帰国して来た時にお2人で食事に行く機会がありました。
その時に前を歩いている内田也哉子の姿を見ながら、このような想いにふけっていました。
「ふと私の頭の中に、この人、大人になったらどうなるなだろうって興味津々で。」
「後ろ姿を見ながら、白髪になったらいいだろうなみたいな…。」
出典:スポニチアネックス
そして当時まだ10代(当時17歳)だった内田也哉子に送ったプロポーズが大変胸を打つものでした。
「私には白髪のあなたが想像できるし、そういうあなたが愛おしいと思える気がする。 今すぐじゃなくても、いつか結婚という選択肢が現れたとき、私もそこに入れてください」
こんなに素敵なことをあんなイケメンに言われたら失神していまいます。
そして1995年、当時19歳だった内田也哉子は本木雅弘(当時29歳)と結婚しました。
10歳の年の差ですが、そんなに年齢差を感じさせない関係だったのかもしれません。
当時、内田也哉子はすでにエッセイストとして活躍していました。
内田也哉子が本木雅弘を選んだ理由をこのように書いている。
『スバラシイような、クダラナイようなところをもっとのぞいてみたかった。
二人といない彼と私のそんなところを。』
夫である本木雅弘への愛を感じます。
内田也哉子は故・樹木希林さんが子育てする時におもちゃを与えなかったり、ほとんど新しい服を買い与えなかったりと普通とは違う子育てをされてきたので、一般的な女性とは感覚や立ち居振る舞いが違っていたりしてっ本木雅弘がオンリーワンだと感じた可能性が高いです。
当時のことを振り返って本木雅弘が地味婚だったと話していました。
「地味婚のはしりでして。お金をかけずにということを意識して(笑)。私の羽織も、樹木さんが買ってきた古着の、2千円のものですね」
夫婦が仲良しなのは子どもたちのおかげ
時々、意見がぶつかり合うこともあります。内田也哉子の中にも内田裕也さんのような激しい一面がありますが、本木雅弘が辛抱強くそれに向き合ってくれるおかげでうまくやってこれていると、内田也哉子が過去に語っていました。
2024年11月21日放送のテレビ番組『徹子の部屋』に35年ぶりに出演した本木雅弘が、夫婦の意見がぶつかった時のことを明かしています。
「おっとりしたタイプなんですけど、内に秘めたマグマのようなものをDNA的に持っていて、それにカッと火がつく時があります。」
「朝まで討論会的な感じになる」
長男・UTAが幼いころに
「ダダも間違ってない、マミーも間違ってない」
と仲裁してくれたことがあったとか…。
「それが本当にけなげでかわいらしかったので、こっちも拍子抜けしてしまって、お開きになるみたいな場面がありました」
次男・玄兔(げんと)くんが生まれてからも議論が絶えなかったのですが、ある日玄兔くんが
「マミーは『だけど』、ダダは『だから』とずっと言っているから2人の話が終わらない」
と鋭い指摘をしたことに本木雅弘は驚いたといいます。そして、
「永遠に話が終わらないとツッコまれたこともありました」
と回想していました。
素敵なご家族なんですね、これからも素晴らしいご家庭で愛を育てていただきたいです。
内田也哉子が結婚する時に母・樹木希林さんの反応は
出典:Twitter
樹木希林さん
当初、樹木希林さんは娘の結婚相手は一般男性がよかったようですが、本木雅弘が農家の16代目だったということですごく喜んだようです。1つの土地に何百年も根ざせる辛抱強さ、謙虚さ、食べ物(お米)を作ってきた生命力にやられたそうです。職業というよりは、遺伝子的にもっている部分に樹木希林さんは惚れ込んだようです。
「うちのこんな娘でよければ」
となったそうです。
ニュースを観てると内田也哉子さん、樹木希林さんに顔や話し方がそっくりになられましたね。
だけども、あのキャラの濃い人ばかりの家に婿入りした本木雅弘さんは最初は勇気があったでしょうね(笑)— あらしやま右京 (@yusuke8435) September 13, 2019
内田也哉子さんが15歳で本木雅弘さんに出会ってはじめて買ってもらった服がコムデギャルソンのメンズのミリタリーのオールインワンで、彼女が選んだら「似合う」と言ってくれたその服を今も大事に着ているというエピソードよすぎるなー。
— 桜林 直子(サクちゃん) (@sac_ring) October 7, 2019
2022年7月のTOKYO FMの番組「三井ホーム presents キュレーターズ~マイスタイル×ユアスタイル~」にて、内田也哉子と桐島かれんが対談をしています。
その時に、結婚する時に母親から言われたのが
「先に家庭を耕して、それで40代から好きなことをすればいい」
と、まずは家庭ということだったと明かしています。2022年現在、内田也哉子は46歳なので好きなことをこれからどんどん楽しんで行かれるのかもしれません。
結婚の挨拶をした時、父・内田裕也さんは
出典:Twitter
内田裕也さんと本木雅弘/映画『魚からダイオキシン』
本木雅弘がアポをとって、銀座の料亭で結婚の挨拶をしようとセッティングしていました。ところが、
「事務所社長と来い、一人で来るな」と電話でいわれてしまいます。
きっと何を言われるかわかっていたんだろうと本木雅弘は回想していました。
事務所の社長のほうばかりとしゃべって本木雅弘のほうには見向きもしてくれない内田裕也さん。そうこうしているうちに高級な料亭だというのに、ハエが飛んできて
『これもう、やめたほうがいいってことなの?』
と思ったそうです。そして部屋を変えてもらってもまだまだはぐらかされ、内田裕也さんが二軒目に誘ってくれたのでついて行くとホテル・オークラの『Bar Highlander』というバーで、さらにはぐらかされていましたが、ついに
「裕也さん!」
と大きな声で言うしかないと思ったころに、内田裕也さんから
「わかってるよ!よろしく!」
の一言で終わってしまったという衝撃の展開でした。
そのバーはかつて、内田裕也さんがジョン・レノンとオノ・ヨーコと3人で会っていた場所でした。
そのことについて、本木雅弘は
「どこかで、なんか、そういう素敵なことができる二人でいるお前らでいてほしいっていうメッセージが込められていたんじゃないか」
とカッコイイ演出だと思いました。
義父は家庭内でも破天荒だった
前述の『徹子の部屋』で、本木雅弘は義両親について明かしています。
「二人ともそれぞれ自分の道を生きて、それをうそ偽りなく世間にそのままさらしていたタイプ」
「作為のない、素直な表現者と言ったらおかしいかもしれませんけれども、面白がらせてもらいました」
「裕也さんは、樹木さんが言ったように、『ひとかけらの純粋さを持ち続けている』」といい、「破天荒なイメージがありますけれども、時々二世帯住宅に酔った勢いで夜襲してくるときもあるんですけれども、基本的には普段は優しいし、紳士だし、映画の題材になるものを探して読書家でもあるし。でも『おまえらのその善人っぽいイメージはおれという悪がいるから成立してるんだ。感謝しろ』とよくおっしゃっていました」
2世帯住宅に同居されていた時も、希林さんによって「裕也さんのロックンロール部屋」が用意されていたそうです。
しかし、
「そこに裕也さんが訪ねてきたことはありますけど、住むことはなかった」
と、裕也さんが同居することは無かったと明かしていました。
夜襲はインターホンを何度も鳴らし、鉄の門をガタガタ揺らしながら「本木!也哉子!いるか!開けろー!」「おい、聖徳太子!(当時の本木雅弘の演じる役柄)いるんだろー!!」と騒々しかったといいます。
本木雅弘は
「あっ見てるんだ」
と思っていたら、下で裕也さんと希林さんの諍いが聞こえてきて
「子どもの熱が」
と言うと
「そんな子どもの熱ぐらいでヌクヌクしてんじゃねぇ!!」
と裕也さん。その横で、希林さんが
「そうね、そうねそうね。やっちゃいなさい」
と嬉しがっていたといいます。もみ合いになる中で、本木雅弘がつい殴ってしまったというすごい展開になってしまいました。
その後、裕也さんのお仲間が集団で
「裕也さんに何したんだ!!」
と希林さんのところに来ていました。本木雅弘が対応しようと行くと、お仲間が吹き出しそうな表情をしていました。
何かと思い、後ろを振り返ると希林さんが鉄パイプを持って守ろうとしてくれていました。
とても楽しいご家族です。
本木雅弘は義母との同居をしてくれた
出典:Twitter
本木雅弘
本名:内田雅弘 生年月日:1965年12月21日 元ジャニーズ事務所所属の3人組アイドル「シブがき隊」のメンバー。 |
昔は、「シブがき隊」の“モックン”として人気者でしたが、現在は味のある演技派俳優として定着した本木雅弘。樹木希林からお願いされて内田家の婿養子となりました。
内田也哉子が一人娘なので、跡継ぎが欲しかったのでしょう。さらに、関係者が言うには「年齢の幅の広い家族は子供にいい影響を与えるから、一緒に住まない?”と樹木さんが本木さんに提案したんです」ということです。
同居を了承してくれた本木雅弘は本当に素敵な旦那様です。
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内田也哉子と本木雅弘の子供の記事はこちら↓
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母・樹木希林と浅田美代子の記事はこちら↓
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内田也哉子のプロフィール
出典:Twitter
内田也哉子
生年月日 | 1976年2月11日 |
出身地 | 東京都 |
職業 | エッセイスト、歌手、女優 |
父親 | 内田裕也 |
母親 | 樹木希林 |
配偶者 | 本木雅弘 |
本は何冊か出版されています。
本の評判はかなり良いようです。
2005年に渡辺琢磨と鈴木正人と共に音楽プロジェクト“SighBoat”を結成し、内田也哉子はボーカルを務めています。
こちら↓は、ほぼ英語のセリフ?をペラペラ流暢にしゃべっている感じで後半、少しだけメロディーを口ずさむ程度でした。歌っている姿が見れます。
やはり、留学や通訳をしていただけあって、英語の発音がとてもお上手ですね!かっこいいです。そして、やはり樹木希林さんの娘ということで個性的な雰囲気も遺伝しているのかもしれませんね!
さらに、作詞もされています。名義はひらがなで“うちだややこ”となっています。NHK教育テレビ(Eテレ)で『おかあさんといっしょ』という番組で放送されている『たいこムーン』という曲です。
出典:https://www.youtube.com/watch?v=wrm_HaZVqTs
まとめ
- 樹木希林さんの娘・内田也哉子は女優、エッセイスト。夫・本木雅弘と10代のころから愛を育み結婚。3児の母となる。
- 馴れ初めは内田裕也と食事に行った時に内田也哉子が途中から参加したのが初めての出会いで、15歳とは思えない落ち着いた存在感に惹かれた。その後、通訳として本木雅弘の仕事に同行することがあったり、手紙やファックスで連絡を取ったりしていた。
- 内田也哉子は、歌手としても活動している。英語の発音がペラペラ。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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