映画『八つ墓村』などで活躍した女優、小川眞由美。若い頃はモテたという噂や、現在、娘・MAH(小川雅代)と絶縁状態なのか?画像についてまとめました。
目次
小川眞由美の若い頃はモテた?画像
美人と評判だった小川眞由美ですが、若い頃の画像を探してみました。
↑小川眞由美『浮世絵 女ねずみ小僧』
↑小川眞由美・ドラマ『木枯らし紋次郎』イキ顔
↑小川眞由美『木枯らし紋次郎』
小川真由美
– アイフル大作戦(’73)-
I doubt whether a wink is done. pic.twitter.com/xJY5YcqBkj— Ford’39 (@8NAcJxGtKriRQts) July 31, 2019
【祝】今日、12月11日は 女優の 小川眞由美さん(80歳)の誕生日です。https://t.co/EwFBXTkTrJ アイフル大作戦OPより 1973年#小川眞由美 #アイフル大作戦 #バーディ大作戦 #プロハンター pic.twitter.com/OvX0bjLGZ2
— Takashi Kogachi (@Takashi_kogachi) December 11, 2019
これだけの美女でモテないわけがないですね。しかも、当時はセクシー路線だったのでそりゃあ、もう…ですね。後に「魔性の女」と言われる小川眞由美ですが、異性を虜にする女性としての魅力がすごかったんでしょうね!
小川眞由美の現在
現在は肥後修験総本山六水院の
吉祥寺教場長を務めていらっしゃいます。
小川真由美って今、下ヨシ子の門下なのなー。 http://t.co/jsr6E9W1HK (宗教法人 肥後修験総本山六水院)
— 衲僧 (@busterbonze) September 18, 2013
【カラオケで般若心経を歌うことができる】
JOYSOUNDで霊能者の下ヨシ子名義で歌うことが可能 pic.twitter.com/yEJq4Uq0sY— 気になる雑学bot!キニ雑! (@gr0604) December 31, 2019
しかし、お寺に住み込んでいるわけではなく、週に2,3回通っているようです。
そして、娘・MAHが言うには、「母は、現在は都内のマンションで一人暮らしをしています。」ということで、介護のサービスを受けているようです。
2014年3月25日の回で、バラエティー番組『踊る!さんま御殿!!』に出演しました。当時、74歳でしたがまだまだ綺麗でした。
小川眞由美は毒母で娘・MAH(画像)と絶縁状態?
小川眞由美と俳優の故・細川俊之の間に長女・小川雅代さんが誕生しました。雅代さんは現在は、“MAH”として活動しています。
出典:Twitter
故・細川俊之と小川眞由美(若い頃)
故・細川俊之は顔だけでなく、低音の甘い声が印象深かったですね。
映画『恋するシャンソン』でダリダ&アラン・ドロンが歌っていた『甘い囁き』を日本語版では中村晃子と細川俊之が歌っていました。「パローレ・パロレ・パローレ♪」で有名な曲です。
中村晃子 & 細川俊之 / あまい囁きhttps://t.co/yORUpiaTvO
— 郷朱005 (@XmUZZMKDSeugWl8) July 31, 2019
父と母の離婚後、4歳で母親に引き取られたMAHですが、売れっ子女優だった母・小川眞由美は子育てを放棄したそうです(ネグレクト)。虐待、餓死寸前で心身ともに追い詰められたこともあったとか…。壮絶な人生だったんですね。
婦人公論の誌上対決「母・小川眞由美VS娘・雅代」が強烈。娘が飢えてイヌのエサを食べた、割れたコップの破片が目に入ったのに手当せず、占い師に電話して庭に塩をまいたとか、母の狂人っぷりにクラクラ。母は「年中役作りに没頭したり、私は常に母親でいられたわけではありません」と苦しい言い訳。
— Arai Kaoru (@araikaoru) September 21, 2013
20歳で家を飛び出して、仕事をしながらパンクロックバンドを結成しますが、母からの過干渉は続き、38歳でうつ病とパニック障害を患いました。そして「母と会ってはいけない」とドクターストップがかかりました。
1か月で13キロも痩せましたが、それをきっかけに自立することになりました。
そして本の出版の前年に父・細川俊之が他界してしまいます。「母同様に向き合ってくれなかった父が亡くなって後悔しました。せめて母とはやり直せたらと思い、最後の手段としての出版でした。」
2012年に「ポイズン・ママ 母・小川真由美との40年戦争」(小川雅代=「“MAH”」著 文芸春秋)が出版されました。
出版直後、母が娘に言った言葉は、「あんた、また周囲やマスコミに洗脳されたんだね。」でした。
それが、かえって吹っ切れた気持ちになったようです。
その本は母・小川眞由美は読んでくれていないようです。しかし、かなり反響があったようで、同じ体験をした女性が驚くほど多かったようでその方達からの声が届いたそうです。
「母は、現在は都内のマンションで一人暮らしをしています。性格の激しさは相変わらずのようで、生活を支えてくれるヘルパーさんらにもむちゃぶりして、担当がコロコロ代わっているとか。ただ、私がそこに介入するのは精神的負担も大きいので、一度だけ、ヘルパー事務所の責任者の方にご挨拶だけして帰ったことがありました。毒親との関係に傷ついた心に完治はないと思います。ただ、自立するなかで、自分を守るのは自分しかいないと知りましたし、親とのほどよい距離感も学びました」
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小川眞由美の娘・MAHのプロフィール
本名:小川雅代
生年月日:1969年5月25日
職業:パンクロックバンド“JETT SETT”(ジェットセット)のボーカル・ギタリスト・ソングライター、モデル、女優
小川眞由美のプロフィール
前列中央・小川眞由美
本名:小川真由美(旧芸名)
生年月日:1939年12月11日(2019年の誕生日で80歳)
出生地:東京都足立区
職業:女優
学歴:和洋女子短大国文科卒業
代表作:テレビドラマ:『浮世絵 女ねずみ小僧』、『積木くずし』他
代表作:映画『二匹の雌犬』、『八つ墓村』、『復讐するは我にあり』、『食卓のない家』
小川眞由美さん。都会的で上品、それでいて色っぽい。これに更に未亡人だなんて盛り過ぎだ…(すき)#八つ墓村
— ぬえ (@yosinotennin) October 19, 2017
※映画『二匹の雌犬』(成人映画)で初主演しましたが、緑魔子と共に「悪女スター」とレッテルを貼られた。
《1964》….小川眞由美…緑魔子 pic.twitter.com/mcwouO5tH3
— BON (@1632bdkrst) March 29, 2018
1961年、文学座付属演劇研究所に合格、第一期生として入所。同期に寺田農、樹木希林、橋爪功などがいる。樹木希林は、当時の合格者(女性)について「他(自分以外)はみんな美人だらけ」と言っていたので、その中の1人だったということですね。
橋爪功の記事はこちら↓
樹木希林の(孫、娘)記事はこちら↓
樹木希林の娘・内田也哉子と結婚した夫・本木雅弘の馴れ初めは?
1967年、同じ文学座所属の俳優、細川俊之と結婚して娘・MAH(小川雅代)が誕生しますが、娘が2歳のときに別居をして1973年には離婚します。
その後、近藤正臣や数名の男性と浮名を流し、「魔性の女」と呼ばれます。
うわわー、これ橋爪功さん?かっこいい!1979年、今から40年前の倉本聰のドラマ『たとえば、愛』より pic.twitter.com/U4fDxlcc7c
— なあこ@好きにまみれろ (@KagawaNami) December 26, 2019
1981年には俳優・橋爪功と婚約しますが、結婚には至りませんでした。
近年は、女優としてほとんど活動していないようですが、2008年に真言六字密教六水院(下ヨシ子管長)で得度し尼になりました。剃髪はしておらず(丸坊主ではない)、女優も辞めたつもりは無いと言っているようです。
まとめ
- 小川眞由美の若い頃は、美人だと評判だった。そして“魔性の女”と呼ばれるほどモテた。
- 小川眞由美の現在は、肥後修験総本山六水院の吉祥寺教場長を務めている。2014年には、『踊る!さんま御殿』に出演。
- 小川眞由美は、娘・MAHに虐待などをした毒母で、娘が母との確執を告白した本を出版した。現在も絶縁状態が続いている。
最後までご覧いただきありがとうございました。
アイフル大作戦の写真は小川真由美じゃないですよ
当サイトをご利用いただき、誠にありがとうございます。また、ご指摘ありがとうございました。さっそく差し替えさせていただきました。今後とも当サイトをよろしくお願いいたします。
三匹の侍にゲスト出演した時は、未だガキの自分にもその色気の凄さが判った
とにかく異常な色気の正統派美人で、それが当時の白黒ブラウン管TVからでも伝わって来るんだから凄かった。
また、芸能界に入っても異常に持てただろうから、子育てという自らが奉仕する立場は不得意で、それがネグレクトとなったんだろう。