樹木希林さんといえば、現在は故人ですがみなさんもご存知の超有名な大女優でした。娘の内田也哉子とその夫・本木雅弘の間には三人のお子さんがいらっしゃいます。
樹木希林さんにとって孫である雅樂(UTA)ウタは高身長のモデルでバスケの選手、内田伽羅(きゃら)は女優で映画『あん』に出演してたけど現在は映画の裏方、次男の内田玄兎(げんと)さんは祖父の故・内田裕也さんにそっくりで作曲家デビューしていたこと、三人兄弟の仲良し画像などについてまとめました。
目次
UTAは高身長モデルでバスケの選手、画像
本木雅弘・内田也哉子の長男として生まれたUTA(雅樂・うた)ですが、パリコレモデルとしてデビューしました。祖父母やご両親も有名人ばかりの家で生まれ育ったUTAは、大注目されました。
出典:Twitter
UTA
UTA/パリコレ
2022年もブランド・山本耀司(Yohji Yamamoto)のモデルとして活躍しています。インスタグラムにランウェイを歩く姿が投稿されていますが、外国人のモデルとすれ違う瞬間もまったく引けを取らない存在感とクールなかっこよさで独特の雰囲気が出ています。
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本名:内田雅樂(うちだうた) 生年月日:1997年10月1日(2023年で26歳) 出身地:東京都渋谷区 身長:195cm 高校:IMGアカデミー(フロリダ州・寄宿学校、スポーツトレーニング施設) 大学:ドミニカン大学カリフォルニア校 祖母・樹木希林、祖父・内田裕也 スイスの名門校、ル・ロゼ学院に留学していました(学費が日本円にして年間1600万円以上)が、アメリカのドミニカン大学からスカウトされてバスケットボール選手として活躍されているようです。スカウトされたきっかけは、樹木希林の通訳として海外の映画祭などに同行していた時に関係者の目にとまったことです。 |
バスケットボールは小学5年生の頃からずっと続けています。インタビューでバスケの魅力をこのように語っていました。
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「バスケをしていると、他のスポーツや日常では感じることができない自由さを感じることができるんです。トリックやムーブなど、自分のスタイルを決めてプレーし、そのスタイルをどんどん進化させていく。身体が大きく影響するスポーツですが、案外奥深くて、だからこその面白みがあるんです」
バスケで身長が伸びたこともあるかもしれませんが、父である本木雅弘の身長は174cmで、母・内田也哉子の身長は160cm後半と言われています。特に母方の身長が高めの印象です。
スラッとしていて、足が長すぎるくらい長いですね。ちょっとだけ足の長さを分けて欲しいです。笑
留学で各国を渡っているうちに、ファッションへの興味が芽生えました。
「中学時代は、留学先のスイスで過ごしていました。そのころから、着る洋服を自分で選び始め、着こなしというものを意識するようになりました。それにヨーロッパという土地柄、ロシア人やフランス人の装い、それにイタリア人の装いとでそれぞれのスタイルの違いもわかるようになり、服にはTPOがあることも学びました。バスケのユニフォームの着方でさえも異なるんです。一方はオーバーサイズで、もう一方ではジャストサイズ、ちなみに自分は流行りに逆行して、短めで機能的な短パンが好みでした。着こなしは、文化に加え、その人のパーソナリティが反映されるんです。アメリカに行ってからも『これがアメリカのスタイルなんだな、東と西でもこんなに違うんだ』と面白く観察しています。ただ洗練された服ではなく、その人の育ってきた背景を感じるようなスタイルは魅力的ですよね」
モデルの誘いを受けてはいましたが、バスケとの両立ができるのか不安に思っていたところ、祖母・樹木希林からの言葉がきっかけでモデルを始めることになりました。その時の樹木希林の言葉がこちらです。
「ある種、服というのは内面を映す鏡。同じ服を着てもみんな違って見える。いろいろな服を着ることで、より自分を客観視できる。それは生きていく上でも大切なこと」
自分を客観視する…とても大切なことを教えてもらっていたんですね!いつも樹木希林の言葉はとても心に刺さるものが多いですよね。そんな言葉をたくさん集めた本も多数出版されています。
UTAの本名は雅樂と書いて“うた”と読みますが、小学生の頃は同級生にバカにされたりしてあまり好きになれなかったそうです。最近で言うところの“キラキラネーム”として扱われていたのでしょうね。
出典:RETOY’S
ご両親に名前の由来について聞くと
『雅樂(ががく)には、日本古来の神に捧げる音楽、歌という意味がある』
と教えてくださったようです。現在では「印象に残る名前だね」などと言われることが多く、UTA自身もけっこう気に入っているようです。
2022年5月にインスタで若い頃の母とUTAのツーショット写真を公開しました。
出典:Twitter
すっかり長身な現在のUTAからすれば、信じられないくらい小さくてかわいらしいです。
2mを超える身長のバスケ選手とのツーショットをインスタに投稿し、190cmのUTAとの身長差でいつも背が高いUTAが小さく見えると話題になりました。
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どの世界にも上がいるものだと、あらためて実感させられました。
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内田伽羅(きゃら)がかわいい!演技力に太鼓判、映画の裏方も。画像
本木雅弘・内田也哉子の長女として生まれた内田伽羅(きゃら)ですが、女優として活動しています。伽羅という名前の由来は、
「清々しく、賑々しく、音を立てて、転がって生きてほしい」
という願いを込めてつけられたそうです。
出典:Twitter
赤い振袖は樹木希林が長年愛用していたものです
伽羅というアジア原産の香木からヒントを得て、そのようなユニークな願いを込めたと思われます。
父・本木雅弘にそっくりで綺麗なお顔立ちです。
母・内田也哉子と
内田伽羅が出演した映画『FURUSATO‐宇宙からみた世界遺産‐』(2010年公開)での演技は、父・本木雅弘も太鼓判を押したと報道されました。
当時のインタビューに本木雅弘は
「今のところ、(伽羅)本人は仕事を続ける意思はありませんが、いい経験をさせていただきました」
「地球と子どもたちに優しいまなざしが感じられる映画ですね」
出典:シネマトゥデイ
などと、当時は内田伽羅がしごとを続ける意思が無かったことを明かした上で感想を述べていました。
とはいえ、2011年公開の『奇跡』や2015年公開の『あん』に出演していることから、今後もお仕事を続ける可能性は無いわけではなさそうです。
生年月日:1999年9月16日(2023年で24歳) 職業:女優 2010年、映画『FURUSATO-宇宙からみた世界遺産-』でデビューしました。 2011年に是枝裕和監督の映画『奇跡』に出演、第26回高崎映画祭最優秀新人女優賞を受賞しました。この作品のオーディションへ出場することを勧めたのは共演した祖母・樹木希林でした。 両親(本木雅弘と内田也哉子)は、女優として活動するのはまだ早いと考えていました。 2015年、映画『あん』で樹木希林と再び共演しましたが、前回の共演では直接演技で絡む場面が無かったので本当の意味での初共演は『あん』ということになります。 |
映画『あん』は私もみましたが、とても良い作品でした。本当に感動して泣きました。当時は女子高生の役をしているのが内田伽羅で樹木希林のお孫さんだと知りませんでした。これからの女優としての活躍がとても楽しみです。
※追記
2012年から5年間、ご家族でロンドンに移住していましたが、内田伽羅が11歳の時に
「イギリスの女子校に行きたい」
出典:スポニチアネックス
と希望したことがきっかけでした。長男・雅楽がスイスのボーディングスクールに在学中だったため、そこではダメなのか聞くと、
「お兄ちゃんとは違う、イギリスの女子校に行きたい」
出典:スポニチアネックス
と強く希望していることを伝えました。15歳から芸能界にいる本木雅弘は普通の生活に憧れていたので、
「東京でも騒がれるわけではないけど人の目があって。でもロンドンでは誰も知らない。その心地良さ、アノニマス(匿名の。無名の)でいる匿名性に味を占めてしまって。むしろ旦那さんの方が用がないのにずっといるようになっちゃって、仕事をしに日本に帰るようになった」
「5年間何をやってたのって言われたら、ひたすら一家団らん。東京ではなかなかできなかった夫婦の時間や子供たちとの時間を持てたのは、人生のギフトだった」
出典:スポニチアネックス
海外では無名の一般人として生活できたことは、とてもいい環境だったようです。
2022年にニューヨークの大学をご卒業されました。卒業後は1年間、就労ビザがおりたので映画の制作や配給の会社に勤めて裏方のお仕事をしながら学んでいるところです。
次男・玄兎(げんと)は内田裕也にそっくりで作曲の才能も!絵を描くのが好き
内田玄兎さんは、内田家の次男として2010年3月25日に生まれました。『玄兎』という名前の由来について、誕生した当時に本木雅弘が
「くろ(玄)く、ふかく、しずかな宙(そら)に、光を放つ月の情景・・・を想像し、名を玄兎(げんと)としました」
出典:eltha
と発表していました。(『玄兎』とは“月”の異称で月には玄(くろ)い兎(うさぎ)がいるという伝説から由来しています)
テレビに出演した時の画像です。
2015年9月11日放送の『ピッタンコカンカン』に出演しかわいいと話題になりました。
切れ長の目が祖父の故・内田裕也さんによく似ています。
実は、内田也哉子が2019年10月6日放送のテレビ番組『ボクらの時代』に出演した時に、玄兎さんについて語っていました。
【10/6 朝7:00-】
ボクらの時代 ■ 内田也哉子 × 是枝裕和 × YOU pic.twitter.com/0zDM3ggMMg— ボクらの時代 (@bokurano_jidai) October 5, 2019
樹木希林さんが生前に
「ちょっと裕也の気が入っているなぁ。破天荒の…」
と心配していたそうです。
番組で共演していた是枝裕和監督は、玄兎さんの印象について
「すごく人懐っこいよね、お通夜の席で隣に座ってすごく話しかけられて、何だろうこの垣根のない感じはって」
と言うと、内田也哉子も
「裕也もそうだったから」
と性格的に似ていることを認めていました。将来大物になりそうな予感がしますね(*’▽’)
玄兎さんの年齢は、長男・UTAと12歳離れています。まだ中学生(2022年で中学1年生)ですが、あっという間に大きくなることでしょう。
内田也哉子は母・希林さんからは放任主義で育てられていますが、ご本人はどうしてもお子さんに対して気になったり、何かやってあげたくなってしまうタイプだと2022年5月27日放送のFMラジオ番組『キュレーターズ~マイスタイル×ユアスタイル~』に出演した時に明かしています。
そんな母に対して玄兎さんから、
「Mommy,let me live my life」(僕の人生を生きさせて)
出典:スポニチアネックス
と言われてしまい、
「小学生に言われてる。ダメだなあと思って」
と、内田也哉子は反省していると語っていました。希林さんからは、
「早く子供たちを家の外に出しなさい」
と言われていて、長男・UTAも長女・伽羅も12歳でそれぞれスイス、イギリスへと送り出していました。玄兎さんは上のお2人よりも年齢が離れていて、しかも末っ子なので特にかわいいということもあるのだと思います。
前述の“破天荒”な一面も海外に送り出すのをためらう理由としてあるのかもしれません。
内田家は、教育にお金を惜しまない方針のようですし、ご両親もとても素敵な方なので将来、玄兎さんがどんな人になるのか楽しみです。
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↑兄・UTAのインスタグラムにて
↓UTAのインスタグラムで、きょうだい三人の写真が公開されました。
出典:YAHOO!ニュース
※追記※
玄兎さんが作曲家としてデビューしていました。イギリスの高級ブランド、ステラ・マッカートニーと芸術家の奈良美智氏コラボの商品が2021年3月に発売されました。
キャンペーン動画の音楽を玄兎さんが手がけています。
ピアノの音がシンプルですが、複雑なメロディーでとっても斬新な音楽です。これからも作曲家として活動していくのか、玄兎さんに注目が集まっています。
2023年4月17日放送のテレビ番組『徹子の部屋』に内田也哉子が出演しました。
その中で玄兎さんが絵を描いていることについて触れ、「家族の中で一番自由度が高い」と話していました。
内田也哉子さんの次男・玄兎さんの絵。
なんだか素敵… pic.twitter.com/H8mBIsWRDy— maycat/Journey Kids (@maycat98726950) April 19, 2023
ギリシャ彫刻のようなものを見ながら描いたそうです。
素人なので詳しいことはまったくわかりませんが、なかなか味のある絵だと思いませんか。
2023年11月11日放送のテレビ番組『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』にゲストとして本木雅弘が出演しました。13歳の玄兎さんについて、故・樹木希林さんに似て芸術家タイプだと述べ、
「次男が13歳なんですけれども、絵を描いたり陶芸をしたり。不思議なオブジェを作ったり」
と語り玄兎さんが作成した作品を複数、紹介されていました。芸術的センスを感じさせる作品に芦田愛菜は「ええ~!」と驚き、サンドウィッチマンの伊達きみおは「かっこいいですね!」とテンションが上がった様子でした。
母・内田也哉子と父・本木雅弘の記事はこちら↓
https://www.toynutz.com/%e3%82%a8%e3%83%83%e3%82%bb%e3%82%a4%e3%82%b9%e3%83%88/uchida-yayako-motoki
樹木希林さんのプロフィール
出典:Twitter
樹木希林さん
本名:内田啓子 生年月日:1943年1月15日 死去:2018年9月15日 職業:女優 夫:内田裕也 娘:内田也哉子(エッセイスト、女優) 孫:UTA(内田雅樂),内田伽羅、内田玄兎 1961年に文学座に入り、「悠木千帆」名義で女優活動を始める。 1964年の『七人の孫』で注目を集め、以後、数々のドラマ・映画に出演。 日本アカデミー賞をはじめ受賞歴も多い。 |
樹木希林が女優となるきっかけは『文学座』のオーディションを受けたことでした。
「私は周りが心配するほど無口な少女だったの。なのに不思議ねぇ、たまたま目に飛び込んできた新聞の小さな記事を見て『文学座』の試験を受けたら合格しちゃったわけ」
1000人の応募があった中、合格者はたった10人だけでした。当時18歳でした。
文学座の同期は、小川眞由美、橋爪功などがいます。
小川眞由美の記事はこちら↓
https://www.toynutz.com/%e5%a5%b3%e5%84%aa/ogawa-mayumi
橋爪功の記事はこちら↓
https://www.toynutz.com/%e4%bf%b3%e5%84%aa/hashizume-isao
「他は美人だらけだったから、一人くらいそうじゃないのも入れとこうかと思ったんじゃないかしら? ただ、私は耳がいいと言われましたね。人のセリフをよく聴いているって。演技のセリフって、相手の出方によって、自分がどういう言い方をするか変わってくるはずなんですよ。でも、相手のセリフを聴いていない人って結構いるんです」
さすが演技派女優ですね。しっかりと演技に向き合っている様子がうかがえます。
私のことを怖いという人もいるみたいだけど、それは私に欲というものがないからでしょう。欲や執着があると、それが弱みになって、人がつけこみやすくなる。そうじゃない人間だから怖いと思われてしまうのね。
私は女優の仕事にも、別に執着があるわけじゃないの。それよりもまず、人としてどう生きるかが大事。だから普通に生きてますよ。掃除もするし洗濯もする。普段から特別、役作りというのもしません。現場で扮装をしたら勝手にその役の気持ちに入り込んでしまう。私の場合、女優業ってそれくらいのことなの」
「『寺内貫太郎一家』に出た時は31歳だったの。あれは自分から老婆をやりたいと言ったのだけど、それからというものずっと老婆役ばっかり回ってきて。私より年上の女優さんはズラッといるのに、みんな『私はまだ……』とか言って断っちゃうせいなんですよ。『迷惑しました』って書いておいてくれない?」
30代早々から演じ続けた老婆役。しかし、キャリアを重ね、やがて樹木自身の年齢が役に追いつく頃になると、かつてはコミカルだったはずの老婆は、ごく自然体の、観る人の胸を打つ姿に変貌した。’13年には『わが母の記』で2回目となる日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞している。
授賞式で『全身がん』を告白しました。その時にこう語っています。
「でもね、今はがんになって本当によかったと思っているんです。自分の体と向き合うようになりましたから。それから、これはちょっと奇妙な話なのだけど……2004年の年末に、タイのプーケット島への家族旅行を予定していたんです。
でも9月にがんの告知を受けて、そんなところに行く気分じゃないということで、キャンセルしたの。そうしたら年末にスマトラ島沖大地震が起きた。予定通り行っていたら、大津波に巻き込まれていたでしょうね。
私だけ助かって孫は流されてしまうなんて苦しい余生を想像すると、がんになって幸いと心底思ったの。それに、私はどのみち死ぬ運命なのだから、それだったらベッドの上で死ねるだけまだマシじゃないのってね」
さらに、夫・内田裕也について続けました。
「内田がね、ここ最近、会うたびに『体調が悪い』ってうるさいの。でも私が『それは辛いわねえ、わかるわよ。私なんか全身がんだもの』って言うと、ピタッと黙るんです。そんな効果もあるのよ」
すごく柔らかい言い方ですよね。このエピソードで樹木希林の人柄が垣間見えた気がします。
内田裕也のDVが激しかったようでそのことについても語っています。
「DVが酷くて、こっちもやり返すものだから大変だったのよ。近所の金物屋で『なんでオタクは包丁ばかり買いに来るの?』って訊かれたこともあったわね(笑)。
世間の人は私をDVの被害者だと思っているかもしれませんが、内田には感謝しているんです。若い頃の私は、裡にマグマみたいな激しい感情や自我を抱えていて、『こんな状態でどうやって生きて行けばいいんだろう』と戸惑っていた。
そんな時、更に激しい自我を持つ内田に出会ったのね。彼と一緒にいると、自分は意外とまともなんじゃないかと、楽な気持ちになれた。だから、実は救われたのは私のほうなんです。
そりゃ若い頃は大変だったわよ。でも時が経って年を取るにつれ、ぶつかってばかりはいられなくなるし、それにちょうどいい距離感というのがわかってくる。それまでにちょっと時間がかかりすぎたかもしれないけどね(笑)」
1976年から約40年もの間、内田裕也と別居していましたが、年に二回ほど会っていたそうです。
「それぐらいが私たちにとってちょうどいいの。たまに会う程度だから、お互いに話したいことがいっぱいあるし」
夫婦の愛の形はいろいろありますが、年に二回の距離感がお二人にはちょうどよかったんですね。
出典:Twitter
内田ファミリー
二世帯住宅の一階に樹木希林が、二階には娘夫婦と孫3人が暮らしていました。家族についてこのようにコメントしています。
「家族に囲まれて、こんなに平穏無事な晩年を送ることができるとは夢にも思ってなかった。私は自分の人生、『上出来』だと思っていますよ。」
一人の人間として生きることを大切に、そして家族を大切にしてきたからこそ『上出来』な晩年を送れたのでしょう。
「私はね、女優としてではなく、一人の人間として、ひっそりと逝きたいのよ。だからもし私が表舞台から姿を消しても、決して追いかけないでね。」
樹木希林は私の好きな女優の一人でした。お亡くなりになられたので新しい映画に出演することはありませんが、素晴らしい作品をたくさん遺して下さったことに感謝と敬意を表したいと思います。
まとめ
- 樹木希林の孫、UTA(内田雅樂)は、195cmの長身でパリコレモデル。外国人モデルにも引けを取らないほどの存在感がある。大学ではバスケットボール選手として活躍している。
- 樹木希林の孫、内田伽羅は、女優として活動している。父・本木雅弘に似ていて美人。
- 樹木希林の孫、内田玄兎さんは、現在は中学生。性格が人懐っこくて、祖父・内田裕也さんにキャラクターが似ている。芸術的センスを持っているところは祖母・樹木希林さんに似ている。作曲もする。これからが楽しみ。
- 樹木希林は全身がんで死去したが、晩年はとても幸せで自分の人生を『上出来』と評価した。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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